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安芸の宮島「杓子」

 宮島といえば杓文字(しゃもじ)が有名です。

宮島の杓文字は、江戸時代(寛政年間1800年頃)厳島の光明院というお寺に誓真というお坊さんがいて、宮島の貧しい人々をみて宮島の木で弁天様の琵琶にちなんで杓文字を作ってお土産にしようと島の人々に教え広まっていきました。また、ほかの杓文字よりも使い勝手がよく、寛政の改革では、宮島の杓文字は高級品として指定を受け贅沢とされていました。滝沢馬琴の日記には、「宮島の杓文字は使い勝手がよくってお櫃のごはんが一粒残らずきれいにとれる」と書いています。
日清・日露戦争の頃には、広島の宇品港から大陸に出兵し、また帰ってきたのですが、「ご飯」を「めし」ということから「敵をメシトル」にかけて、縁起をかつぎ、無事に帰ってくればそれを持って故郷へ帰りました。そうして、全国へ広まっていきました。現在でも、高校野球で広島県代表の応援や、広島カープの応援にも使われています。
生産量は全国1番ですが、実際に作られているのは、宮島以外の対岸の大野町などがほとんどとなっています。
かつて300人いた杓子職人も、今は2人となっています。なお、宮島では、杓文字(しゃもじ)を杓子(しゃくし)と呼んでいます。
誓真さん」のページ
http://www.ccv.ne.jp/home/soubi/seishin/


広島市役所入り口のモニュメント
NANJA MONJA SYAMOJI DE GANSU
(2005/8/18)