国の史跡 頼山陽居室と頼山陽史跡資料館
頼山陽は、安永9年(1780)に大阪で生まれた。父春水は、当時私塾青山社を開いていたが、広島藩が学問所を創設する際に朱子学者として迎えられ、当館の位置する敷地内の屋敷には、寛政2年(1790)から住むようになった。 山陽は、ここで育ち、寛政12年(1800)には広島藩を脱藩し京都へ行くが、すぐに連れ戻され、邸内の離れの一室に幽閉された。この離れが現在の頼山陽居室である。なお、当時の居室は被爆により焼失し、昭和33年(1958)に復元された。幽閉された5年間、山陽は著述に専念し、晩年に完成する「日本外史」の草稿をまとめたとされる。 その後ももっぱら著述に専念し、京都で後半生を送り、天保3年(1832)53歳で没した。 頼山陽史跡資料館は、江戸時代後期の文筆家として知られる頼山陽に関する資料を始めとしてさまざまな資料の展示・公開・調査研究を行うことを通じて、教育・文化・福祉の向上に資することを目的としている。 |
頼山陽史跡資料館入口
国の史跡 頼山陽居室
頼山陽史跡資料館 開館時間 9:30-17:00(入館は16:30まで) 休館日 月曜日(祝休日の場合は、開館、翌火曜日が休館) および年末年始(12/28-1/4)、臨時休館日有り 入館料 一般/300円,小中高校生/150円(団体割引有) 交通 広電電車 「紙屋町経由宇品行」袋町下車 約50m 〒730-0036 広島市中区袋町5番15号 財団法人頼山陽記念文化財団 Tel 082-542-7022 |
比治山の多聞院に頼家の墓があります。
その他参考:がんす夜話p27-
新修広島城下町p218