トップ >> 広島市町名一覧表 >>広島市・西区(2002/2/24-2002/6/5作成) 

井口(いのくち)

井口町(いのくちちょう)
戦国時代から昭和31年は、井口村。 地名は、半島状の鈴が峰が「猪の口」の形に似ているからといわれ、また、隣の古江の入口「江の口」が転訛したともいわれる(ふるさとの井口の歴史)。
井口台(いのくちだい)
昭和60年から現在の町名。西部開発により、山を切開いて作られた住宅団地。
井口明神(いのくちみょうじん)
昭和53年から現在の地名。もとは井口・井口町の一部。同町の小己斐明神に因む町名か。
井口鈴が台(いのくちすずがだい)
昭和45年から現在の町名。もと井口町の一部。

打越町(うちこしちょう)

地名の由来は、広島城側の堤防が高くされ、この地が洪水常襲の地となり、北の新庄川、南の横川、東に太田川、西に山手川があり周囲が川に囲まれ、冠水の時に西横川堤防の一部を破壊して堤内の水を排水したことから内越と呼ばれ、打越に転訛したという(三篠町史)。
江戸期から、明治22年までは、打越村。広島藩蔵入地。
明治22年から大字。(初め三篠村、昭和4年から広島市。)昭和8年から現在の町名。

小河内町(おがわちまち)

地名は、己斐川と福島川に囲まれた中州北部の地名で、福島川に架かる橋の名から。
昭和37年から現在の町名。もとは、南三篠町、中広町、上天満町の各一部。もと福島川の河川敷(太田川放水路に建設で廃川)を埋立て成立。

扇(おうぎ)

広島市西部開発によって埋立てられた。地名は扇の形に似ているためか。平成元年に「海と島の博覧」の会場。現在、広島市西部浄化センターがある。

大宮(おおみや)

昭和42年から現在の町名。もとは、大芝町、三篠本町の各一部。町名は、新庄町の宮神社にちなむ(広島市コミュニティカルテ)

大芝(おおしば)

昭和8年から42年の町名。もと三篠町楠木・三篠町新庄の各一部。昭和42年から現在の町名。
大芝公園(おおしばこうえん)
昭和42年から現在の町名。昭和43年県の交通公園ができる。(平成11年より広島市移管)桜の名所として有名。

観音(かんおん)

天満川・川添川に挟まれた三角州の中州上に位置する。慶長年間の新開地で、もとは開発者の名によって「新蔵新開」と呼ばれた。新蔵は同じ頃この地に観音堂を建立した田頭氏の家祖と思われ、田頭氏は代々この堂を維持し、村の地主であった(新修広島市史)地名はこの観音堂に由来(知新集)
観音新町(かんおんしんまち)
昭和30年から現在の町名。昭和42年から1〜4丁目。もと広島市南観音町の一部。
西観音町(にしかんおんまち)
昭和8年から現在の町名。もとは、広島市観音町・広瀬町・天満町の各一部。
東観音町(ひがしかんおんまち)
昭和8年〜現在の町名。もと観音町の一部。
観音町(かんおんまち)
大正5年からの町名。
観音本町(かんおんほんまち)
昭和8年から現在の町名。町名は、字本通にちなむと思われる。

草津(くさつ)

地名の由来は、神武天皇、神功皇后の営陣の地と伝えられ、軍津(いくさつ)と称し、これが転訛したものという。(秋長夜話)南北朝時代からみえる地名。草津城がおかれ、南の草津湊には水軍基地とされた。江戸期から明治42年は草津村。明治42年から草津町。牡蛎養殖などが盛ん。
草津港(くさつこう)
昭和53年から現在の町名。もとは。井口1〜5丁目の一部。
草津新町(くさつしんまち)
昭和35年から現在の町名。もとは、草津東町、庚午町、古田町古江の各一部。
草津東(くさつひがし)
昭和45年から現在の町名。もとは、庚午南、草津東町、草津新町、古田町古江の各一部。
草津南(くさつみなみ)
昭和45年から現在の町名。もとは、草津南町、草津東町、井口町の各一部。
草津梅が台(くさつうめがだい)
昭和50年から現在の町名。草津梅林があった。現在は、草津病院がある。
草津浜町(くさつはままち)
昭和8年から現在の町名。もとは、草津町草津の一部。
草津本町(くさつほんまち)
昭和8年から現在の町名。もとは、草津町草津の一部。

楠木町(くすのきちょう)

地名の由来は、昔楠の大樹があったことによる。(旧県史)戦国期は楠村、江戸期から明治22年は楠木村。明治22年から昭和8年までは三篠町楠木。製針、製材、家具、ゴム工業などが発展。昭和8年から楠木町。

己斐(こい)

己斐(こい)
己斐川(現太田川放水路)に面した地域。地名の由来は、山間地であることから、峡(カイ)村とする説(秋長夜話)や、「神功皇后長門の熊襲御征伐の時、当地へ御船を止め給ふ所へ県主大きなる鯉を奉りたれば、皇后殊に嘉し給ひたる故を以って鯉村と申す」と国郡志書出帳にある。また、芸藩通志には筑前宗像に許斐村ありて許斐の神社を置く・・・とある。
中世から明治44年までは己斐村。明治44年から昭和4年まで、己斐町。昭和4年から広島市。
己斐上(こいうえ)
昭和46年から現在の町名。もと己斐町の一部。
己斐西町(こいにしまち)
昭和46年から現在の町名。もと己斐町の一部。
己斐大迫(こいおおさこ)
昭和56年から現在の町名。もと己斐上の一部。
己斐中(こいなか)
昭和46年から現在の町名。もと己斐町の一部。
己斐東(こいひがし)
昭和46年から現在の町名。もと己斐町の一部。
己斐本町(こいほんまち)
昭和46年から現在の町名。もと己斐町の一部。

庚午(こうご)

庚午(こうご)
明治初期の開拓地。地名の由来は、干拓に着工した年の明治3年の干支にちんむ。明治3年から22年は佐伯郡の新開。明治22年から草津町庚午新開となる。明治2年の秋の凶作により困窮者救済のため藩営事業として始められた。昭和4年から広島市の大字。昭和8年に庚午町となる。
庚午中(こうごなか)
昭和42年から現在の町名。庚午町、庚午北町、庚午本町、古江新町の各一部。
庚午南(こうごみなみ)
昭和42年から現在の町名。もと庚午南町。
庚午北(こうごきた)
昭和42年から現在の町名。もと庚午北町。

商工センター(しょうこうせんたー)

昭和53年から現在の町名。西部開発で埋立てられた。もと井口1〜5丁目。工業団地が海岸沿いにあり、大規模ショッピングセンターのアルパークや、サンプラザなどがある。

新庄町(しんじょうちょう)

江戸時代から明治22年までは新庄村。明治22年三篠村の大字となる。昭和8年に新庄町、三滝町、楠木町、三篠本町、大芝、山手町に別れる。県の天然記念物新庄の宮神社社叢がある。(現在の大宮)

鈴が峰町(すずがみねちょう)

昭和52年から現在の町名。井口と五日市の境界に鈴が峰の山がある。「海表の一望山なり、頂に廃祠荒壇あり、水晶を生ず」と芸藩通志にある。

高須(たかす)

昭和42年から現在の町名。もとは、広島市古田村古江・庚午町・己斐町の各一部。古くは、古江村高須郷と呼ばれた。
高須台(たかすだい)
高須の山を区画整理し、造成し団地とした。

田方(たかた)

昭和45年から現在の町名。もとは、広島市古田町古江の一部。

天満町(てんまちょう)

江戸時代から現在の町名。もと小屋新町(広島城の普請小屋があったため)と呼ばれたが、火災多発のため、天明8年火雷天神を祀天満宮を勧請し、これにちなんで天満町とした。(知新集)
上天満町(かみてんまちょう)
昭和8年から現在の町名。もとは、広島市広瀬町、三篠町打越の各一部で、土手外の水入畑地。

中広町(なかひろまち)

昭和8年から現在の町名。もとは、広島市三篠町打越の一部。太田川放水路と天満川に挟まれた北端に位置する。町名は、旧名の中郷と広瀬から中広となった。(広島市コミュニティカルテ)

古江(ふるえ)

広島湾に面した山沿いの地。地名の由来は、「古へ天子ノ御船着シ古キ入江之故事」にちなむ。(国郡志書出帳)
江戸期〜明治22年は古江村。明治22〜昭和45年大字古江(古田村大字古江、昭和4年から広島市大字古江)
古田村は、古江村と山田村が明治22年に合併したもの。
古江上(ふるえうえ)
昭和45年〜現在の町名。もとは、広島市古田町古江の一部。
古江新町(ふるえしんまち)
昭和35年〜現在の町名。もとは、広島市古田町古江、庚午町、草津東町の各一部。
古江西町(ふるえにしまち)
昭和45年から現在の町名。もと広島市古田町古江、草津東町の各一部。
古江東町(ふるえひがしまち)
昭和45年から現在の町名。もと広島市古田町古江の各一部。

古田台(ふるただい)

古江に出来た新しい団地。

福島町(ふくしまちょう)

明治40年〜昭和44年までの町名。現在は1〜2丁目。もとは広島市川添。福島川(川添川・現在廃川)と山手川(現太田川放水路)の間の中州の南部。明治39年に旧広島藩主福島正則の三男八助を祀る小祠を同地で発見しこれにちなむ(広島市史)。

三篠(みささ)

太田川三角州の北端。地名は太田川の別名「御篠川」にちなむ(三篠町沿革史)。「御篠」は太田川と支流が笹の葉を重ねたように流れることから。明治22年〜明治39年は三篠村。明治31年に新庄・楠木・打越の村が合併した。明治40年〜昭和4年は三篠町。
三篠町(みささちょう)
昭和40年から現在の町名。もとは、三篠本町、楠木町、横川町、打越町、三滝町の各一部。
三篠北町(みささきたまち)
昭和40年から現在の町名。もとは、三篠本町、大芝、三滝町の各一部。

三滝町(みたきまち)

昭和8年から現在の町名。もとは広島市三篠町新庄の一部。古跡名勝に「三瀑みたき」として雌雄二流あり、又駒が滝といふもあり、併せて三たきとす」と芸藩通志にある。
三滝山(みたきやま)
昭和45年から現在の町名。
三滝本町(みたきほんまち)
昭和45年〜現在の町名。

都町(みやこまち)

昭和37年から現在の町名。もとは広島市西天満町の一部。放水路と天満川の中州(埋立地)にあたる。

南観音(みなみかんおん)

昭和42年から現在の町名。もと広島市南観音町の一部。
南観音町(みなみかんおんまち)
昭和8年〜現在の町名。もと広島市南観音町の一部。昭和7年に昭和新開の地先に埋立造成。

山手町(やまてちょう)

昭和8年〜現在の町名。山手川(現太田川放水路)右岸。もとは、広島市三篠町新庄・三篠町打越の各一部。町名は、字名による。

山田(やまだ)

戦国期に見られる地名。山田氏が治める。江戸期〜明治22年は山田村。明治22年から昭和45年は大字山田となる。はじめ古田村。
山田町(やまだちょう)
昭和45年から現在の町名。
山田新町(やまだしんまち)
昭和57年から現在の町名。もとは山田町。美鈴が丘に続く団地(山田団地)ができ山田町から分離。

横川町(よこがわちょう)

昭和8年から現在の町名。もとは広島市三篠町楠木の一部。横川は、太田川本流が別れて、西へ向かう流路のことで、これが地名になったもの
横川新町(よこがわしんまち)
昭和40年から現在の町名。もとは横川町の一部。

竜王町(りゅうおうちょう)

昭和45年から現在の町名。もとは山手町、打越町、三滝町の各一部。

この一覧表は、郵便番号一覧をもとに作成していますのでアイウエオ順と相違してます。