国道2号線の東側海中にある小島の明神さんは、”小乞明神”とも”刻印明神”ともいわれる。祭神はイツクシマ姫で社殿も厳島に向かって建てられているが、明治始めまでは昔から子のない婦人がこの明神さんに祈願すると子を授かることより「子乞い明神」といわれている。また、周防山口方面から来る船が広島湾に入る検閲の刻印を打っていたことから”刻印の明神”とも称せられる。また、平清盛が厳島神社造営のさいも引潮を利用して建材を送り出したと伝えられ、井ノ口小学校下の地下から多数の木屑が発掘されたこともあるという。現在は、西部開発による埋立で、陸地となり、西部埋立第二公園の一部になっている。 |
昭和5〜6年頃。
潮が引くと地続きとなった。昭和の始め地御前に羽田別荘の弁天島海水浴場があったが、これを見た平井ツルヨさんがここに井口海水浴場や井ノ口館(料亭)を作ったが、太平洋戦争で廃業となった。 |
(2002/3/16)
(2002/3/16)
2号線沿いにはビルが建ち、気づかれにくい場所にあるが、井口高校のすぐ近くにある。老木の松が名残をとどめている。(袋小路みたいで注意が必要。) |
その他参考:新修広島城下町p247
写真で見る広島あのころp62-