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御便殿

 舊御便殿
廣島市比治山公園、廣島驛の南方約1粁、明治二十七年十月廣島市西練兵場に假設された第七回臨時帝國議會議事堂内の御便殿を、明治四十三年現在の地に移轉したものである、舊御便殿は単層板葺で、これを単層総瓦葺で蔽ふて保存され、殿内に敷物、椅子、卓被等の御物及び御眞影が奉安されて居る。
舊御便殿のある比治山公園は一に臥虎山と呼ばれ、高い山ではないが、樹木繁り、楓、躑躅に富み、近年は特に櫻樹に名がある、視界廣く、西面すれば市街の大部を望むことが出来る。
−廣島縣史跡名勝寫眞帖−

(昭和10年)写真で見る廣島あの頃
男性は帽子を着用し、子供は白い上っ張りを着けてヨソユキ着とした。


比治山は桜の名所で、御便殿にも多くの花見客で賑わいました。御便殿は、日清戦争の時に西練兵場に建てられ、それを市が貰受けて明治43年に比治山へ移築したものです。この御便殿が移された時、広島としては初めての「宝探し」が行われました(がんす横丁)。廣島の名所として、昭和10年ころには遊覧バスも必ず寄っていました。大鳥居は、大正12年2月に明治天皇御大葬で青山斎場に建てられたのを東京市から譲り受けたものですが、昭和12年の日中戦争のころに貼ってあった青銅が盗まれてしまいました。
昭和20年の原爆で倒壊し、現在は広場となっています。

(2005/8/18)