TOPへ >> 広島市町名辞典 >> 広島古地図
江戸中期(1711-20頃 広島城下町絵図 図説広島市史−付図
享保13年(1728) 広島町新開図 図説広島市史−付図
明治20年(1889) 広島市街明細地図 図説広島市史−付図
(1595年頃) 毛利時代の広島城下絵図 新修広島市史 第五巻の地図
元和5年(1619) A浅野長晟入国時の広島城下絵図 新修広島市史 第五巻の地図
天明年間(1785頃) C天明年間の広島城下絵図 新修広島市史 第五巻の地図
明治10年(1877) E広島市街地図 新修広島市史 第五巻の地図
明治27年(1894) F広島市街地図 新修広島市史 第五巻の地図
大正7年(1918) G広島市街地図 新修広島市史 第五巻の地図
昭和4年(1934) 隣接7か町村合併・昭和8年新設町名実施後の広島市街地図 新修広島市史 第五巻の地図
昭和37年(1962) I広島平和記念都市建設計画図 新修広島市史 第五巻の地図
明治38年(1905) 明治38年新版 広島市街地図 復刻版-積善館
大正9年(1920) 実地踏測 広島市街全図 復刻版
昭和7年(1930) 最新実測広島市街地図/縮尺2万分1 復刻版
昭和13年(1938) 最新大廣島市街地図廣文館発行 復刻版s50年マツノ書店

一覧

広島の中心部 明治・大正・昭和

(地図でみる廣島の移り変わり)

明治38年 明治38年では、まだ西塔川と平田屋川(竹屋川)が見えます。現在の加古町に県庁、県病院、市役所、税務所があります。
大正9年 県庁や市役所の位置は明治と同じですが、西塔川と平田屋川(竹屋川)が消えて電車軌道が書かれています。市内電車は大正元年に創業しています。電車は白島線や十日市などの路線が現在と異なっています。地図には流川の暗渠がまだ残っています。
昭和7年 市役所は、現在の国泰寺に異動しています。その北側には春和園(眞菰)が見えます。明治・大正と電灯会社がありましたが、廣島電気会社となっています。のちの中国電力ですが、現在はこの場所に中電病院があります。
昭和13年 昭和13年の紙屋町付近の地図です。相生橋はT字ではなくH字になっています。現在の県民文化センター(鯉城会館)の位置に西警察署があります。産業奨励館が現在の原爆ドームです。