TOPへ >> 寺社仏閣 >> 白神社(しらかみしゃ) 広島市・中区 

 
白神社・しらかみさんとして広島の人々に親しまれる神社。よく「しろじんじゃ」とまちがわれたりする。このあたりは、16世紀頃まで海であり、船がしばしば海面につきでた岩礁に衝突し遭難したので、船人は岩上に白い紙を立て、船の安全をはかる目印にしていた。その後、ここに小祠を建て”白神”と称し、毛利、福島時代には広島の総氏神として住民から尊崇されていた。昭和20年8月6日の原爆により神社は焼失し、同30年12月に再建された。

白神社
(2001/12/09)
白神社2
(2002/3/24 桜咲白神)
白神社3
西側にある被爆クスノキ
白神社4
東側に有る稲荷さん
広島市指定史跡および天然記念物
白神社の岩礁 広島市中区中町7-9 昭和59年11月28日指定
この岩礁は、広島城築城当時(1591年)海岸線であったこの付近に露出していたものです。又国泰寺愛宕池の岩と一体のもので、このような岩礁が市街地に残っていることは、三角州発達の歴史をたどるうえで意味深いものです。
なお、かつて、この岩礁上に白紙を立てて航行の目印としたと伝えられています。
昭和60年3月  広島市教育委員会 看板より


現在の国泰寺は西区己斐上に都市計画(100メートル道路)のため 移転しました。国泰寺は安国寺恵瓊が建てた安国寺(新安国寺)を福島正則が 国泰寺としたものです。現在、国泰寺の庭園の一部が残されています。

広島市指定史跡旧国泰寺愛宕池 昭和59年11月28日指定

この辺りは、旧国泰寺の境内にあたります。この池は、ここに国泰寺の鎮守愛宕社があったことから愛宕池とよばれるようになったものです。愛宕社は、国泰寺開基当時(1601年)から存在しており、この池は当時のおもかげを残しているもので、城下町形成初期からの遺構として貴重なものです。また、この池は、白神社の境内に連なる岩礁の一部を利用して池としたのもで、城下町形成期初期の頃の海岸線は、この付近であったと推定され、三角州形成の一つの里程標としても意味深いものです。なお、池石の一部に彫られた竜は、満潮時には遊泳したという伝説を伝えています。
国泰寺は、毛利氏の時代に、僧恵瓊が安国寺として創建し、福島氏の時代に改めて国泰寺として開基されました。(1601年)その後、浅野氏が藩主として入国し、その菩提寺として、歴代藩主の尊敬をうけました。現在、国泰寺は、西区己斐上3丁目の山腹に移転しています。  昭和60年3月 広島市教育委員会看板より

全日空ホテルの前にあります。一部、全日空ホテルの庭になってます。その西側に、レストラン「愛宕」なるものがあります。よく、白神さんの祭りや、FFで子供が遊んでます。

その他参考:
新修広島城下町: