TOPへ >> 寺社仏閣 >> 碇神社(いかりじんじゃ) 中区  

ここの御神体は、竜神で、昔、ここへ他国の船が来て碇をおろしたので”碇明神”というとの説がある。このあたりは、白神社と同様に岩礁地帯があって、この孤島に舟を着けて碇をおろしたという。
真言宗の宝勝院の院内にある。宝勝院の開山は、築城奉行の二宮太郎左衛門の子孫の”僧仙”で、毛利輝元から寺領を賜って慶長3年創建したもの。
白島と広島城との間にはもと大きな横川があり、これを福島時代に修理して、北堀としたもの。明治末期に埋め立てられ、広島と一体となった。

由緒によると、祭神 大綿津見神(オオワタツミノカミ)
古くは箱島明神とも称す。創建は奈良時代初期で当広島における最古の氏神と考証される。

碇神社
社叢
岩礁の跡にある石碑
岩礁の跡にある石碑


その他参考:がんす夜話p119-
新修広島城下町p47