TOP >> 広島の碑 >> 萬象園の灯籠・礎石(ばんしょうえんのとうろう・そせき) 広島市・中区


萬象園の屋形灯篭・礎石
ここにある屋形灯篭と礎石(手前は殿様の腰掛石とよばれていました)は、萬象園(広島市中区羽衣町)より移設されたものです。
萬象園は、1657年(明暦3年)、浅野藩筆頭家老、三原浅野家により別邸として創始され明治維新にいたり、その後は分割譲渡されながらも、1958年(昭和33年)まで浅野家により所有されてきました。
庭園の様式は「池泉回遊式」で元安川の景観を借景とし大小様々な石組みによる庭園でした。
萬象園の名付親は郷土が生んだ国文学者頼山陽とされ、当時から縮景園に次ぐ名園といわれてまいりました。
この名園を1959年(昭和34年)に当時の日本電信電話公社が購入し、1960年4月に職員の福利厚生施設として「中国電信電話会館 萬象園」を開設した。
その後、宿泊、結婚式にと、広く広島県内や全国の皆様にご利用いただけるようになり、庭園のある宿泊施設として好評を博してまいりましたが、近年においてはご利用いただく方々のニーズも大きく変化し、閉館することとなりました。
その閉館にあたり、萬象園に関する歴史と文化を後世につたえるため、庭園内にあった屋形灯篭と殿様の腰掛石と伝承されてきた礎石を当時の面影を偲びここに移設し保存することといたしました。
2002/4月西日本電信電話株式会社 広島支店
と説明板にあり。

萬象園の屋形灯篭・礎石
2002/6/9
萬象園案内板
(2002/6/9)
羽衣町(もと吉島町)の萬象園は、水夫町の与楽園、舟入町の萬春園、国泰寺町の春和園、流川町の縮景園(泉庭)とともに広島5名園の一つであった。旧三原城主浅野分家の庭園でした。
移設されたのは、基町クレドの裏にあるNTT西日本の広島支社の角、市立図書館側にあります。メルパルク横の道を通っていくとひっそりとおかれています。


その他参考:新修広島城下町p80